
活動記録
第
第1回(2015年7月13日)
三浦佑之「古代の文献にあらわれるクジラ(久治良/鯨/鯨鯢/鯨魚)」
第2回(2015年10月19日)
山本采香「武蔵野の屋敷林」
三橋未幸「日本語教育におけるデジタル教材の活用と使用実態
高橋伸欣「物語に表象される面の研究―『肉付き面』を中心に―」
第3回(2015年12月7日)
エモノ・マルゴ「日本の新聞社の福島第1原発事故の伝え方」
赤坂憲雄「生け贄譚について」
第4回(2016年2月24日)
洪世峨「尾崎紅葉『金色夜叉』考―「愛」と「黄金」の闘争』
第5回(2016年4月13日)
狩野萌「ウケモチ神話について」
川上隆志「福建の春」
第6回(2016年6月8日)
伊東弘樹「国木田独歩「武蔵野」―渋谷というあわい―」
川野里子「太平洋の発見ー短歌の空間変化」
第7回(2016年7月25日)
伊東弘樹 「もうひとつの「武蔵野」―山田美妙試論」
片岡杏子「「わたし」を支える記憶 ―人と場所の関係性から浮上するもの―」
第」
第8回(2016年10月24日)
遠藤由美子「吉原と井の頭―鏡花作品における怪談会の舞台性」
川野里子「空間の短歌史―南島という空間」
第9回(2017年2月28日)
修士論文・博士論文報告会
藤井倫明 「瓜子姫の成長―その成立から現代まで―」
平林信和「万葉集の挽歌表現研究」
三橋未幸「可視化された教材がもたらすICT教育の可能性
狩野萌「月の神話的表象―消された月を巡る一考察―」
伊東弘樹「はじまりの地としての渋谷―国木田独歩「武蔵野」」
第10回(2017年5月15日)
芦川 貴之「国木田独歩「忘れえぬ人々」―明治30年前後の東京および武蔵野を視座にして―」
矢辺ゆりえ「狂言『節分』における可視化された鬼の意味」
第11回(2017年6月26日)
深沢佳那子「ホト神話の背景」
平林信和「挽歌の表現分類から様式的文脈を考える」
第12回(2017年7月24日)
伊東弘樹 「失われた海の武蔵野―独歩から美妙へ―」
渡部真璃那「木俣考―大穴牟遅神の根之堅洲国訪問譚―」
第13回(2017年9月25日)
アンダソヴァ・マラル「中央アジアの口承文芸と『古事記』-叙事詩、歌、音」
第14回(2017年11月20日)
姜信子「山椒大夫 うばたけ大蛇と旅の記憶」(説経浄瑠璃師 渡部八太夫さん実演)
第15回(2017年12月18日)
赤坂憲雄、三浦佑之、姜信子「物語のゆくえ」
第16回(2018年3月27日)
松本亜紀 「青ヶ島の“タビゴヤ”と出産―出産介助者の役割とは何か―」
第17回(2018年4月24日)
山田貴文「平安後期物語にみる歌謡引用―童謡としての物語表現に向けて」
第18回(2018年5月22日)
狩野萌「民俗学者・斎藤たまについて」
川上隆志「カナダ在外研究報告」
第19回(2018年6月26日)
藤井倫明「童話化された昔話 ―坪田譲治の『新百選日本むかしばなし』―」
大島武宙(寺井龍哉)「『万葉集』と長田王」
第20回(2018年7月24日)
松崎良美「女子大学生の“メンタルヘルス・スラング”の使用とSOC (Sense of Coherence)」
大塚明子「インタラクティブな関係性を構築するインタビューストラテジー―実際の雑誌インタビューの観察・分析から――」
第21回(2018年9月25日)
金子雅弘「『千と千尋の神隠し』の研究―カオナシを呑み込むこと―」
第22回(2018年10月30日)
伊東弘樹「渋谷という文学空間―「武蔵野」への契機」
スポーレ・マーシャ「表現者としての折口信夫」
第23回(2018年11月27日)
川野里子「海の道の痕跡」
第24回(2019年2月25日)
アンダソヴァ・マラル「みことのる神々ー『出雲国風土記』を中心に」
第25回(2019年3月18日)
修士論文・学士論文報告会
金子雅弘「『千と千尋の神隠し』の研究 ーカオナシと呑み込むことー」
谷優季「折口信夫における霊魂と他界」
小笠原七生「アイヌの昔話についてー津波と兎と海の道ー」
第26回(2019年5月8日)
リンジー・モリソン「古事記における「妣の国」考──日本人の「魂のふる郷」を問う」
第27回(2019年6月12日)
田中美恵子「川上貞奴―「お伽芝居」から始まる演劇活動―」